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人生を変えた三つの試合

タイトルに、あるようにその三つについて何回かに分けて書き連ねていきます。

まさに徒然成るが儘に書き連ねていきますので時系列無視の想うままにかきます。

まずは、一部から不評。

一部から大好評のBGMです。

今回のはヤバいです見ながら聞いてください。何か妙な気分になります(性的ではなく)

とにかく聴いてください!聴いてください!聴いてください!

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妙な気分のままでっ!

 

若杉の人生を変えた三つの試合・・・・それは2敗1分。

若杉は勝つ事では何も変えれないのでしょうか(*ゝω・*)ノ

その一つの負けが連載中のミャンマーシリーズ・ミャンマーフェザー級チャンピオンWinTonに挑んだミャンマー遠征。

引き分けがミャンマーライト級チャンピオンSawZawRayを日本招聘した、あの夏。←そのうち書きます

そしてもう一つの負けが99年5月9日のデビュー戦。

人生で初めてそしてこの一回だけが、関節技での一本負けです。

残念ながらこの試合の写真はありません。

もっと残念な事にこの試合・・・負けたんです。

良かった事は、一つ。

負けた後の決断・行動によって、その後の考え方を得ました。

「その後」とは現在進行形の今。

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相手の豊福選手には未だに年賀状を送っています。

対戦相手と、お友達になるのをあまり好きになれない若杉ですがこの人とはその後のリマッチなどがあり少しずつ関係を築いていきました。

この話をするために少し慧舟會の話を。

慧舟會は 創始・西が立ち上げた組織で

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当時は慧舟會空手格斗術と名乗っていました。

西の言う「空手」とは全局面無手制圧術であり、その修得のために試合に臨み稽古を乗り越えていきます。試合のためにだけ稽古をしているのではありません。そのため様々な格斗術の要素を学ぶために様々な競技に挑戦し勝ち、負けて次に進みます。

当然マウントパンチ(要するに馬乗りボコボコだな)の研究もします。

今でこそ総合格闘技は技術革新し広範に競技として成立してます(認知されてきたからこそ地下格闘技などと言う影の部分が出てきました。格闘と格闘技は違うんだよ?

そして99年頃はまだまだで、地下格闘技と言う言葉さえなく競技と言うレベルの優秀な選手は多くはなく「広範」とは言い難い時代でした。

その99年!

師・西より(一説にはJKより気紛れと言われています。)

若杉、リングに上がれ。

と。

当然断りました。馬乗りボコボコの競技みたいな野蛮な事は出来ない。と。←今でも試合でしかしません。

そんな野蛮な事は師・西から習ってない。と。←習ってます。

 

結局ヤる事になりました。

そしてこの試合は負けます。

その2に続きます。

 

自分より強い奴を倒せ

そう言うこった。

 

ForeverChallenge