ここんとこ、去年の大雪の恐怖が甦る若杉です
まずはBGMです
矢沢永吉
もう一人の俺
さて、こないだ知人のタイトルマッチが行われようとしたところ対戦相手のインフルエンザが発覚してタイトルマッチが中止になった。と報道を見ました
コレを書いてる時点での動向が
主催者側は「インフルエンザで欠場した選手に処分を検討」
知人は「ヤれたはずだ」
と。挑戦者側の動向は不明です
我々選手はリングに上がるために色々なモノを棄てて毎日を生きています
毎日色々なモノを棄てています
遊びに行く機会、時間、体力
仕事を選ぶ、する、続ける、辞めるという判断材料さえも
24時間から稽古に費やすための時間を捻出するためにとにかく色々なモノを棄てています
それぐらい「懸けています」
毎日を「駆けています」
↑
最高に減量したとき(;´д`)
計量失格したら試合(公式な)が不成立になります
怪我をしたら試合が出来ないかもしれません
体調を崩したら試合が出来ないかもしれません
けど、無理をしてリングに上がったら敗ける要素も増えます
勝つ要素を増やすために稽古しているのに!です
そのギリギリのラインで現場に立ちます
それこそ、冷静と情熱の間。です
哲学的に言えば(若的に)試合場に立った時点での、その選手は勝者なのです
そしてソコのソノ瞬間から新たに発生した勝者同士の闘いが始まります
リングに立つとは、そんな事なんです
そんな中でインフルエンザで欠場が出てます
この日のためにチケットを買ってくれた人・・・・どうしたのかな?
この人の(両選手の)ために仕事を調整して時間を作ってくれた人
この選手のために(両選手)激励賞を用意してくれてた人
色々な想いが交錯します
インフルエンザのまま試合をした経験がある人間も知っています
色々な想いが交錯します
そして、自分自身が苦しい減量の末に試合不成立になったとしたら?
自分自身が苦しい減量の末にインフルエンザになったとしたら?
どうするのかな?
ほんとうにどうするのかな?
冷静に考えると冷静な答えが出るかもしれません
情熱的に考えると情熱的な答えが出るかもしれません
しかし冷静と情熱の間で揺れ動き答えは出ません
インフルエンザは法定伝染病なのでインフルエンザの人間をリングに上げるのは(公の場にだすのは)反社会的行為だと考えます
1、インフルエンザになって体力的にリングに上がれない選手に処分を検討している
2、インフルエンザになったから選手として管理が甘いから処分を検討している
大分違います
けど、どっちが正義かは我々には量り知れませんなぜらなら我々は競技者だからです
もしかしたら正義なんてモノは無いのかも知れません
けど、向かうべき処はあります
だから、
大事な事は、この答えがでないであろう問題に向かい合う倫理観を持つ事では無いのでしょうか?
稽古千日勝負一瞬
追記・唐津の市議選での同姓同名の立候補者は両者当選したみたい
稀勢の里が横綱になったが来場所での暗黒面に堕ちた白鵬を見たい!ダースベイダー大好きです!