主題より副題の方が長い若です。
稽古を目的とするか手段とするか。
今やっている種目を生涯スポーツと捉えた場合、稽古をする事が目的となる。
今やっている種目を競技者として捉えた場合、稽古は手段となる。
勝利至上主義ではないが勝つ事は「次に繋がる」し「次への気持ちの持ちよう」「次への欲望」になる。
稽古が目的と成る事が最終目標ではないかと思う。
それには稽古を手段として行動したが後の達観した者に成らないといけないのでは?
何も「若くないと格闘技始める意味ないよ」と言ってる訳ではない。20歳であれ37歳38歳・・50歳・・・始めるのは良い事。試合に臨むつもりで稽古に向かい合う。試合に臨むつもりで自分と向かい合う。コレの延長に勝利至上主義があり、更に向かう末には皮肉な事に勝敗から逸脱し「稽古が目的」に達する。
ここで稽古が手段の選手たちが陥りやすいのが「試合に向けてきつい稽古をしていたらいつの間にか毎日の稽古を
乗り越える為だけに稽古をしていた」
若いときはそれでいいんだよ
・・・・・・
・・・・・・・マジかよっ!!!!!!!よくねーよ36歳の今も、若い時も同じ様に大事だよ!
稽古の意味を理解する
今、そこにある問題と真正面から向き合う。向き合ううんだよ!ホークスも優勝したし(゜∀゜)
なぜこの人はこの技なのか?
なぜこの技に至ったのか?
こんな事を考えずに刹那的に技を繰り返し辿り着いた先に見えるモノは在るのか?
確かに「刹那」の積み重ねで試合に勝てる相対的に強ければ。だ。
格闘「技」って体力を向上させながらも、より体力のある者に勝とうとする行為。技術を向上させながらも、より技術のある者に勝とうとする行為。欠点を克服しても自ら次の欠点を暴き出し克服を求める。
凄く哲学的だと思う。
ヤってる人もヤッてない人も理解してほしい。哲学的な事をしている。と。
この哲学的な関係をブッ壊す存在がある・・・・才能。
才能があるとさっきの「刹那的」なモノを積み重ねるだけで勝ててしまう。勝つヤツが実在する。
それだと哲学的なモノにはなかなか成り得ないのは明白。
話が脱線気味になった。
纏めてみよう。都合三種類に分類
○稽古を手段にする人間
×稽古を手段にしないといけないのに目的になっている人間
○稽古をやる事が目的の人間
稽古を手段にする人間は、なぜこの技に至ったのか?を考えて稽古する事によって「技」を「業」に出来るのではないか?
稽古を目的としていてはいつまでも技が技のままで終わってしまうのではないか?
若杉道場では稽古を手段にする人間と稽古を目的とする人間、両方に「業」を教えています。
格闘技って試合だけじゃないんだよ!
昨日のグラジエーター、ヒートについては後日書きます。