世の中・・・少なくとも自分が知る限りではあるが、自己の競技における才能を認める事が、さも悪のように、さも怠慢、傲慢、努力の放棄、傲岸不遜のように叩かれる。
違うかな?
私はそう感じる。そしてそれに蟠り(わだかまり)のような感情を持つ。
まるで、努力だけで事を成さなければならないかのように。
努力ってそんなに万能なの?
才能ってそんなに悪なの?
努力って万能だからこそ誰にでも機会が訪れて、才能は偏り(カタヨリ)があるからこそ持つ者と持たない者が出てくるのでは?
写真は先々週のレスリング世界選手権グレコローマンスタイル85kg級日本代表・天野雅之(中央大職員)の世界選手権での才能溢れるスープレックス。
才能はあるに越した事はない。
こんな才能溢れる彼らも努力してます。
そうやって羨む時間を、悩む労力を、力に変えるって・・・・どがん?
皆が各々才能を発揮できる局面を探して出会えれば凄く平和だと考えます。皆も一緒に考えてください「どうなりたいか?」ではなく「何が向いているのか?」を。
ここからまだ書いて行きます。最後まで辿り着いた先に、全てを解決するこたえがあるわけではないです。
競技を始めようすると、まず言われるでしょう「諦めないで続けるところから始めなさい」と。
諦めない。
素晴らしい言葉です。
けど・・・・もしその種目がアナタに向いていなかったら?
どうする?辞める?
根性でどうにかする!!!!!!!!!!!
はい、お疲れ。
根性
嫌いな言葉です。指導者として。
競技者としての切り口で見たら・・・・・嫌いじゃないかな(//∇//)
根性がないから!
と指導者としての研究、研鑽、発展、革新を否定していないだろうか?
若杉の才能(小)を見つけてくれた師匠の写真を。20年前です。25年か?
素人はちかづかないよーに。倒れてんのは、あのキックの帝王ロブ・カーマン
選手の才能を伸ばす。
良いところを伸ばす。
こんな切り口から指導をしていきます。
才能を容認するって、才能と努力が相反する。と認識するからでは?
才能と努力は同居します。
そうした程度の差はあれ総ての人に何らかの才能があります。
やってみませんか?何か才能あるかも格闘技?
格闘技って「格闘」の延長線にあるんですよ。「格闘」とは違う「格闘技」
追記
師匠の写真が白黒なのは撮影掲載側(詳細不明)の紙面の都合ないし演出でカラー写真の時代です。